身体障害者の就職活動についての日記です。私はかなり恵まれていたような気がします。
1990年5月
就職活動が始まる。学校推薦での就職を考えていたが、半年休学していたので成績が悪かったし、身体障害者だったので、就職は難しいだろうと思っていました。自分で会社訪問をしたのですが、世間の風はきつく、当社への就職は難しいと言われるのが落ちでした。具体例を挙げれば、成績証明書の提出を求めて、この成績では難しいと採用を拒否する会社がありました。もちろん、健常者ならば全く問題ない成績なのですが。就職委員の先生にも私の就職について頼んでいたのですが、私を採用しても良いという会社は、バブル景気の真っ最中というのに、たった1社しかありませんでした。そこで、私は「かけ」にでて大学院を受験することにしました。就職委員の先生からは、全く期待されて無くて、就職はその時になってから考えるかと言われました。私は、大学院入試に落ちればもう後がないと思って、必死に勉強しました。
9月
大学院の入試に奇跡的に合格しました。これで、就職活動が2年先送りされたわけで、私はこの2年間のうちに資格を取って、就職に備えようと思いました。資格としては、国家公務員採用I種試験(電気・電子)を選び、本格的に勉強を始めました。教材は、実務教育出版の通信講座や電気主任技術者2種・3種試験の受験本を使いました。
1991年8月30日
国家公務員採用I種試験(電気・電子)にまたもや奇跡的に合格しました。席次は合格者192名中41番。特許庁から電話があり、「中退して4月から働きませんか」と言われるが丁重にお断りする。
10月1日
就職部H氏に障害のことについて相談する。人事院近畿事務局に電話をして聞いてくれた。今度公務員セミナーがあるので、人事院の人に相談するといいと言われる。
12月13日
公務員セミナー 人事院近畿事務局 第2課試験係長 N氏の説明。障害のことについて相談すると「人事院に来てください」、自分で官庁に問い合わせてもよいですかと聞くと「落される危険がある、まず人事院に来てください。東京の人事院か人事院近畿事務局でもいいです。」とのこと。
1992年2月5日
特許庁から電話、「見学に来てください、水曜午前中以外」
3月11日
人事院近畿事務局を訪問する。第2課試験係長 N氏と会う。障害のことについて相談する。富山市民病院、大阪厚生年金病院の整形外科、眼科の診断書を提出する。「6月の志望の際、障害の有無のところに一筆書いておく」「仕事内容と自分の能力を総合的に判断する」「官庁訪問は積極的にしてください」と言われる。
3月16日
I先生の紹介で、特許庁審査官E氏と会う。E氏は特許庁のリクルーターとして大学を訪問された。I先生の部屋で、話をうかがった。「4年で審査官になり、11年で弁理士の資格が取れる」「まわりの平均的なレベルに合わせて仕事をする、残業手当は付かない」「的確性を保ちながら、迅速に審査を行なう」「仕事は毎日が勉強、学閥はない、能力主義」「最初2年間は寮、その後は自活」「デスクワーク、ストレスはたまる、発散方法を見つける」「男の職場、女子がいない、婚期のがす人も、女子のアルバイトを雇っている」「英語が必要、コミュニケーションの能力がいる、外国へ行くチャンスもある、アジアから研修生を受け入れている」「東京のみ、出向もある、本省など」「審査で民間からの苦情もある、管理職がチェックしているとの噂」
3月25日
特許庁、E氏に電話する、訪問のアポイントをとる。審査の過程を見せてもらうように頼む。
特許庁の採用予定人数は50人で、私の席次は41番なので、成績的には採用枠に入っていた。特許の審査が遅いと批判があったので、特許庁は大量採用を行っていた。
3月26日
13時、特許庁を官庁訪問、E氏、A氏と会う。面会室で、庁内の序列の説明、障害のことについて聞かれる、「志望理由と入庁して何ができるか」など面接で聞かれる、「第1志望で押し通す、他は考えていないと言う、何回も官庁訪問をする」
電力の部屋で、審査の実際を見せてもらう。データベースシステムの実演。
次長クラスによる面接(3人)。K氏によるレクチャー、特許審査官の一生、審査官補→審査官→審判官、裁判所へ出向、大使館、国連、情報システムの構築。特許の審査は、(1)特許の内容を理解する、(2)公知の事実を把握する、(3)進歩性があるか判断する、審査官の個人名で審査する、司法的な側面と技術的な側面がある。
2対1の面接。「専門科目、履修科目」「どの分野が得意か」「卒論、修論のテーマ」「障害のこと、特に支障になることはないか、障害者手帳はでないのか、色覚について」「何人兄弟か、東京で働くことになるがどうか、親は納得しているのか」
あとでもう1人入ってきて、3対1の面接になる。同じ事を2回聞いて、発言内容を確かめていると思われる。「長所と短所」「公務員の志望理由」「親戚に公務員はいるか」「志望理由は」「入庁してから何ができるか」。国によって特許制度が異なるため、不利益を受ける企業がある、世界の特許制度を統一すべきだ。「何か質門はあるか」、司法の側面が強い、責任感が必要、審査の成果が国民に示されている、企業にケチをつけられることはないのか、「信念をもって審査すればよい」
「また連絡することがあるかも知れません」
電力の部屋に戻り、それから喫茶ルームへ。若手のS氏に話を聞く「次長面接→部長面接→最終面接 の順にある」「呼ばれたら必ず行くこと、熱意を試している」
電力の審査長 Y氏と話をする、「特許行政は日本が一番進んでいる、世界の特許の統一が必要、アジアでのブロック作り」
以後、A氏が採用の窓口となる。5時30分、失礼する。
4月3日
I先生に報告、プッシュしておく。
4月20日
特許庁、A氏に電話、訪問のアポイントを取る。
4月23日
13時、特許庁を官庁訪問、S氏と会う。ミノルタの会社訪問に行った話をする、特許庁に行きたいとアピールする。 E審査官は上級審査官になったらしい。
A氏、Y氏と会う、単位を収得し、後は論文だけ。22日にI先生が電話をしてくれたみたい、診断書を持ってきたことを話す。
人事担当者と会う、2名(一人は前と同じ)「東京は何回目か」通勤のことを気にしているようであった、雑談をする、特許庁に入れてくださいと言う。「単位は、修論は」「今は全体を見ている段階、訪問が始まったばかり」「他もまわってみたらどうですか」「研究官は考えていませんか」「民間はどのような状況ですか」「診断書は受け取れない、建前では10月1日まで」
電力の部屋に行く、F−TERM を見せてもらう、S氏に説明してもらう「来るのが早すぎたかな」
A氏「呼び出しがかかったら絶対来てください、私とY氏も応援しますが、これだけはどうなるかわかりません、今度来るときはお金もかかりますから、何かのついでに来てください」
3時15分頃退庁
「(8時の新幹線で帰ると聞いて)、自由席で帰ったらどうですか」
浅草に行きたいというと、S氏が虎ノ門駅の改札まで送ってくれた(他の官庁に行かせないための監視か)
5月11日
I先生が、特許庁に問い合わせて、「採用の枠に入っていない」ことがわかる、今年合格する人のための枠が少しだけある」。採用されないかもしれないので民間を押えておく必要がある。松下電器産業(現・パナソニック)の特許部に推薦してもいい。特許事務所の紹介もできる。
5月12日
F先生に就職のことで相談する、民間なら大手の電機メーカーがいい、中小企業や電機以外のメーカーは入ってからが大変、仕事がきつい、松下電産か三菱電機がいいだろう。
5月14日
H先生に呼ばれる。就職の経過を話す、「私の勘では、1月か2月頃に特許庁から呼び出しがある。その時は、学推があるからいけませんと言うのではなく、特許庁の方が上ですから学推は断りますと言えばいい。公務員の方が格が上、学推を断ることができる。就職は縁。後は神仏に祈るしかない。」
I先生と掲示板の前で会う、松下で働きたいと言う。松下電産の人事部に働けるかどうか聞いてもらっている。
5月19日
I先生に松下にいつ見学に行けばよいか聞く、「来週の月曜日に聞いてみる」
F先生の部屋で、大阪府立産業技術研究所のT氏と会う、「大阪府の電気職を受けてみてはどうか、合格すれば特許関係の部署へ行けるように手を回してもいい」「事前に府庁へ行って相談する、働ける部署があるか相談する、受験願書も持参した方がいい、熱意を見せる」「国と府とどちらに行くか決めておく必要がある、面接でどちらに行くかはっきりと言う、さもなければ後輩に迷惑がかかる」
F先生「就職先は自分で決める、特許庁のことでI先生が御尽力されたことを忘れてはいけない、決ったところを蹴るようなことをしてはいけない。」
5月25日
I先生に松下電器知的財産権センター渉外部部長 M氏を紹介される、「ざっくばらんに話したらいい」
5月27日
松下電器知的財産権センターの見学、知的財産権センター渉外部部長 M氏。
M氏と人事の方、2対1の面接。
知的財産権センターを志望した理由、障害について、「新聞に載るようなことは異常な事態、新聞に載らないようにするのが知財部の仕事」「特許は松下の原点」「英会話を勉強するように」「法務は自分で勉強する」「技術は仕事をやっているうちに身につく」、
知的財産権センターの見学、パトリオットのデモ、
技術統括室知的財産権部の見学、
技術統括室知的財産権部部長 S氏「特許出願書のチェック、技術の評価、ABC三段階に分ける、特許を生産技術といかに結び付けるか」、
M氏とS氏と昼食、
タクシーを手配していただく。
5月28日
F先生に報告。
5月30日
I先生に報告、松下電産知的財産権センターで働きたい旨伝える。
6月1日
松下電器産業の学校推薦をもらう。学校推薦枠は学部生12名、修士6名だった。
6月26日
松下電器産業(現・パナソニック)面接
他の大学も会わせて、全部で約30人ぐらい。
以下の書類を書かされます
家族構成
知人・家族・親族で松下電器の社員はいるか 部署と役職と本人との関係
事前に調べて書いた方がいいと思います
心理テスト 以下の言葉の後に続く文章を2行程度書く 20分間で
私は友達から
私はもしやり直すことができたら
私が印象に残っているのは
今一番関心があるのは
会社に入ったら社会人として
松下電器を志望する理由は
この世の中を私は
相談することがあれば
私の学生時代は
困難なことがあれば
記憶が曖昧ですが、以上のような質問が10問ありました
できるだけポジティブな答えがいいと思います
健康についての問診
交通事故にあったことがあるか
入院したことがあるか
など設問は予防接種の問診表に似ている
人事面接
人事の方と1対1の面接
約20分
障害についての質問 「なぜ杖をついているのか」
サークル活動について
親は松下電器を受けることについてどう言っているか
希望部署は
その理由
修論の内容と関係がありませんが、なぜ志望するのですか
第2志望は
情報処理の資格をとっていますがSEはどうですか
弁理士の資格をとるのははむずかしいですよ
何か質問は
技術面接
3対1の面接
約30分
学歴の確認
受験大学名
学部の成績 席次を聞かれる
修論の内容について説明する
修論と関係する6つの分野(電気回路・電子回路・半導体など)から1つを選び、質問がある
(私は専攻が放電現象・プラズマなので、接点を探すのに苦労した)
(論点について面接官が助け船を出してくれたので、何とか乗り切ることができた)
以下のような質問があった
電界、全波整流回路、平滑回路、高電圧発生回路、ACを全波整流するとDCの電圧はどうなるか、ACの実効値とDCとの関係、変圧器、デジタル回路のインバータ、スイッチングトランジスタの動作について、トランジスタがとぶときはどういう場合か、スイッチングトランジスタをどのようにして選定するか、インバータにも利用されているがどうか
(面接で一番の難関 修論の内容によって質問が違うので注意)
(自分の得意な分野に誘導する必要がある)
(知っていることはどんどん話そう)
(基本的な電子回路、トランジスタ・FETなどの基本的な半導体素子、パワーエレクトロニクスについて勉強しておく必要がある。他に、MOSFETの動作原理について聞かれた人もいた。)
希望部署
その理由
いろいろな脅し文句を並べて、意志の強さを確認してくるので注意
例えば、研究職を志望している場合「2年ぐらい業績をあげられなければ、精神的にしんどいですよ」
知的財産権センターの場合、「英語力がなければ困りますよ、事務量が多いですよ、技術について広大な知識がいりますよ、法務の知識がいりますよ、電子工業や住設機器でも知財権部はありますよ、特許事務所ではなくてなぜ松下電器なのですか」など
(知的財産権センターは、知的好奇心と自己啓発力、ようするに自ら勉強していこうとする気概を示す必要があります)
面接からしばらくして、松下電器から内内定通知があった。
8月11日
建設省から電話
建設省建設経済局調査情報課電気通信室 F氏、M氏
「国家公務員を志望していますか、行政職を志望していますか」
8月12日
運輸省から電話
運輸省航空局 S氏、M氏
I先生が御尽力されたこともあり、建設省と運輸省は官庁訪問をしなかった。
10月1日
松下電器産業から正式に内定通知が来る。バブル崩壊のため内定式は中止になった。
この後、特許庁から連絡が入ることはなく、松下電器産業(現・パナソニック)へ入社した。
配属は志望どおり本社技術部門・知的財産権センターになった。
2018年
公務員の障害者雇用水増し問題が明らかになる。
特許庁の障害者雇用は再点検前は65.5人だったが、再点検後は16.0人で49.5人水増ししていた。障害者雇用不足人数は61.0人だった。
特許庁は最初から障害者を雇用する気がなかったと推測される。
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